2020年11月3日に小3全国統一小学生テストの結果が来ました

模試

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今週17日に、11月3日に受験した四谷大塚の全国統一小学生テストの結果が帰ってきました。いつもは「算数:ステキ!、国語:むむむ」が恒例ですが、自己採点結果の通り「算数:むむむ、まぁドンマイ、国語:ステキ!」という、普段とは逆のパターンでした。受験直後の振り返りは以下から閲覧できます。

3年生は27,723人受験していたようです。前回、6月に実施された全国統一小学生テストの受験者数が3年生1学年で約1万8千人でしたので、1万人近く増えています。

まずは算数ですが、前回6月よりも20点以上下がり、順位は上位5%付近でした。

受験後の記事でも紹介しましたが、「学校でも習っていた余りのしくみ忘れ(これは単に理解不足かも)」、「9×4=45」、「291+9=282」は、少し残念でした。この、残念感を感じてしまったことが私にとっては収穫と思うべきかなと考えていて、そちらは後述します。

家でも不注意による誤答は時々あるのですが、ここまでの不注意は普段はなくなっていました。そして、3年生になってから塾の模試は5回目でしたが、これまでの4回では不注意が全くなく、とても良い成績でした。普段から不注意を単なる不注意で済まして「次は集中しよう」「次は気をつけよう」では終わらせないようにしていて、「何が良くなかったか、どうすればよかったか、どうすれば次おなじことをしないですむか」を必ず言葉に出してみてもらい、内省してもらっているのですが、それでも、どこかでテストではしっかりしているのだからと楽観視してしまっていました。

一見すると高い成績でも、少し油断するとコレです。むしろ、この程度で済んでよかったと思うべきでしょうか。これまでにも警戒していたつもりでしたが、いつでも転がり落ちることは簡単であり、そして、これがある限り成績が伸びたり高いところで維持することはできないということが身にしみました。

国語は前回6月より数点下がったものの、平均点が15点くらい下がっていたようで、順位としては上位1%くらいとなりました。今年一番の成績で、国語に苦手意識のあった娘も大喜びで、ちょっと自信を持ったようでした。

でも、今回含めて合計5回のうち、1けた%の順位を取れたのはマークシートである2回の全国統一小学生テストだけなので、明らかに記述・作文能力に課題がありそうです。

一方で、よくよくこれまでの結果を振り返ってみると、8月の早稲アカサマーチャレンジテストでは読解問題も取ることができていませんでした。そこから、娘の勉強に読解学習をちょっとした工夫をしながら組み込んでいますが、日能研の全国テストと今回の全国統一小学生テストの結果、そして、問題文や設問・選択肢への書き込みをみる限り、読解についてはこの3か月で成長していることが伺えます。これで安心せず読解練習も継続しますが、読解という大きな穴は少しふさがりつつあるように思うので、あとの大穴である記述・作文能力に対応していこうと思います。

ちなみに、国語でも不注意による誤答がありました。問題用紙の設問の選択肢にはきちんと大きく丸がついているのに、成績表によるとその問題への回答は「マークなし」だったようです。こういうのはどうしても残念に思ってしまいます。

ところで、今回の全国統一小学生テストのおかげで、娘の学力以上に、もう一つ、今後の課題となるだろう気づきを得ることができました。

今回、算数でも国語でも、ついつい「残念」に思ってしまった部分がありました。このことで、娘が良い成績を取れば取るほど、私の娘への期待が、より大きくなってしまっていたことに気づきました。

私は公立中学と公立高校を卒業していて、卒業した公立高校の偏差値は当時70弱というところだったと思います。少なくとも入学した時点では通える公立高校で一番学力の高い学校で、両親も喜び、ちょっと誇らしい気持ちになった覚えがあります。

でも、娘が日能研や早稲アカの模試を受けている間の説明でいただく資料にあった、私立の中高一貫校の進学実績を初めてじっくり見た時、とてもびっくりしました。私が卒業した高校は、偏差値50に満たない私立中高一貫校に実績で負けていました。母校が凋落したわけではなく、当時もこんな感じの実績だったよなという内容です。もちろん、中学受験の偏差値50と高校受験の偏差値50の意味が違うことは知っていたのですが、高校受験がないことや高校範囲の先取りだけでは説明できないような気がして、6年間を通じた教育でここまで学力とは伸びるものなのかと驚愕したものです。

その一方で、受験という過酷な競争を経験をしたことのない私も、高学歴な方々がごろごろいる環境で仕事をしています。私と同じ大学を卒業している同僚もそれなりにいるので、私だけが珍しいということでもなさそうです。そして、年上含めて東大、京大、有名私大卒などなど、高学歴な同僚をチームで率いていたりします。個人個人で見ると、どうも学力と仕事の能力や成果は常に一致とは限らなそうです。また、ここも重要と思いますが、その高学歴同僚に大学院時代や就職活動のころの話を聞くと、どこの学校でも、大学院で潰れてしまった人や就職活動で失敗した人は少なくないようです。

そうすると、学歴も人生において成功に直結するとも一概にはなかなか言えず、成功の確率を少し上げる程度のものと考えるべきなのかなとも思っています。社会人になるまで、漠然と東大入れば人生バラ色くらいに思っていたので(東大在籍の友人などいませんでしたので)、現実はそうでもないということを知りました。

ちなみに、海外の人と仕事をするときには、出身大学を言うことはまずないので、学歴は全く重要ではなくなってしまい、学位(Ph.D.)の方が大事となる印象です。分野によるとは思いますが、少なくとも私がこれまで名刺交換したことのある、業務または国際学会で関わった外国人で、マネジャー職かリーダー職にある方は、非研究部門であってもほとんどがPh.D持ちで、たまにMBAと、いずれも持っていない人はたまにしか見ないという感じです。

これらの事実から、この先、娘の中学受験が思うように行かなくても、慌てる必要はないなと思ったものですし、娘にもそう言ってあげられると思っていました。

中学校の偏差値と大学への進学実績は相関してはいると思いますが、調べる限りどうも予備校の要因も考慮しないといけないようですし、そもそも大学進学ですら失敗しようが成功しようが、その後の就職や仕事での結果や評価で失敗と成功が決定されるわけでもないですので。それに、偏差値55くらい以上で中学校のホームページを見たり説明会を聞いたりしていますが、偏差値によらず、「娘は、ここの学校ならきっと誠実で頑張れるように育ってくれる」と魅力的に見えます。どこの学校も、どうみても適当に過ごしてきた自分の中学高校よりも、充実した学生生活を送ることができるように感じています。

そう思っていたはずなのに、いつもより少し低かった程度の、十分に上位と喜べる結果に対して残念に感じてしまい、ちょっと娘には申し訳なくなりました。

少なくとも私が小学校3年生だったときよりも遥かに学力は上ですし、努力もしています。と思いつつも、中学受験に挑戦する以上、「自分の中で頑張れる範囲で頑張ろう」では意味も薄れてしまうとも考えています。目標というものは、自分の中で「ここが限界というところの少しだけ上」に設定すると、頑張れるし成長します。将来のことを考えれば苦しいときにこそ、そこから一歩だけ頑張れるように、娘には大きく成長してほしいとも思っています。このあたり、塾が始まってからもよくよく考えながら私自身の中でもバランスをとっていく必要がある課題として認識しました。

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Posted by ぜろパパ