3年後の中学受験終了後の娘への声掛け予定
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先月から中学受験の本番が始まっていますが、昨日、2月1日より多くの子供たちにとって本番といえるだろう、東京の中学受験が始まっていますね。普通なら「受験生のみんな頑張って!」と言いたいところなのですが、受験の経験もなく、また、中学受験のこともたいして詳しくない私がそう言ったところで、どうも薄っぺらい気がいたします。
でも、そんな私ですが、そして、少し気が早いですが、良い結果が出ても、良くない結果になってしまったとしても、娘にどのように接するかは決めていたりします。中学受験のことを調べるうちに、必然的に大学受験のことも調べることになり、次いで、真に努力した人たちとは完全に反対な今までの私の人生を振り返ることになり、自然と答えが出ました。
一言でいうと、うまくいった場合は「それを過信することなく、新しい目標をもって努力することを忘れないでほしい。」ことを伝えます。うまく行かなかった場合、「それで将来の夢が閉ざされたわけではなく、悲観して途方にくれる必要はなく、失敗と思う必要もない」こと、合わせて、「目標を修正して新しい努力の形を見つけて、行くことになった学校で努力することを続けてほしい」ことを伝えます。
私についての振り返りです。プロフィールやこれまでの記事で断片的に紹介してきたような気がしますが、私は中学受験どころか、受験の世界をほとんど体験せずに大人になり、社会に出てしまいました。でも、だからこそ見える世界もあると考えています。
公立中学への進学は親が手続きをしたのだと思いますが、決まった日に小学校の卒業式に出席し、決まった日に中学校の入学式へ出席しただけです。
公立高校への推薦は、かならず合格がもらえるわけではなく、しかも、たしか、一般受験より1か月くらい早く結果が出るだけでしたので、きちんと勉強はしていました。その後、本命の公立高校から推薦で合格をいただきます。推薦も一般も同じ合格発表を見るのですが、結果は事前に知っているので掲示板はチラッと見ただけで、合格の感動もなく書類を受け取りに受付に向かったことを今でも覚えています。
ちなみに、高校への推薦試験の面接では、将来何になりたいかを聞かれて「医師」と答えたことを覚えています。本当になりたかったわけではなく、というか、将来のことなど何も考えていませんでしたので、面接用の、まさに適当な答えでした。春になると中学受験の情報誌で灘、筑駒、開成、桜蔭などに合格した子どもたちのアンケートが掲載されますよね。そのうち「将来の夢:医師」と書いている子供がとても多いこと多いこと。こういう子たちが目指す職業なのだと、当時は一切知りませんでした。
私が通っていた高校は、高校受験偏差値上はそれなりに高く、また、学区的に私が通える学校では一番偏差値の高い学校だったこともあり、入学直後の宿題テストで全体の半分くらいの順位だったことで、「中学での努力はたいしたことなかった。頑張らないと!」と思ったものです。でも、このときは、中高一貫校というものが存在していて、小学校から受験のために勉強している人がいるとは全く知りませんでした。高校3年生の時に、全国模試の「学校平均点が、全国平均点に及ばない」という事実に直面した時、全くわけがわかりませんでした。自分としては頑張ったと思っていても、とても小さな世界で頑張ったつもりになっていただけだったことが、今ならよくわかります。
その後、高校で勉強している中で、英語は5教科の中で一番苦手で一番嫌いでしたが、理科が面白く、特に化学に興味を持ち、研究者になりたいと思うようになりました。周囲は国立志向だったこともあり指定校推薦はあまり人気がない環境でした。私も国立志望だったはずで、決して楽観はできないものの、そう悲観する成績でもなかったと記憶していますが、私立の中では第一志望だった学校の指定校推薦が、私の代になって急に設けられ、親に相談して、推薦を申し込むことにしました。まさに棚ぼたです。
これについては、家に経済的にゆとりがあったわけではないと後でわかり、その点ではやはり国立を受験すべきだったと思っています。一方で、大学1~3年生はともかく、4年生と大学院での研究室時代、そしてその後の就職、その後の社会人人生を考えると、結果的には最適だった選択という結果になりました。
大学に入ると、どの学部でもそうだと思うのですが、勉強することが細分化されますよね。化学と名前がつくものでも、なんとか化学、のように、細かく別れます。高校のときは有機化学が好きだったはずなのですが、大学で学んでみるとつまらないことこの上ないわけです。この先どうしようというときに、新しい教授が赴任し、新しい研究室を立ち上げました。そして、その教授の授業が面白いこともあり、その研究室に進むことになりました。
新しい研究室だけあって、ポスドクも博士課程の学生もいません。実は教授も実験の細かい手法もしらないので、図書室に行って、当時からさらに10年くらいまえに書かれたようなボロボロの汚い本などを読み込んで、研究をどうすすめるかよりも、実験をどうやるかから調べる必要がありました。理系の方には通じると思いますが、知ってる人が教えればすぐ済む話なのに、液クロやELISAなどなど、基礎的な実験手技ですら全部一から調べなければならないのです。教われば10分なのに、何時間もかかります。ちなみに、研究室にはお金もないので、共通機器室にある機器をつかいます。当時でも、液クロはコンピュータ制御になってましたが、共通機器室の地震計のようなものがついたアナログなものを使わざるを得ず、一から、根本的な原理から調べるわけです。当時、学外活動もしていて、他学の研究室の恵まれているように見えた研究環境を聞く機会がありましたが、とても羨ましく思ったものです。
でも、そんな中でも、真面目にやると結果は伴うものです。学部時代の成績はそれなりによかったので大学院は余裕で推薦をいただけました。大学院でもそれなりに結果を出すことができ、優秀な成績と認められて学生支援機構の奨学金の返還免除もいただくことができました。また、研究テーマが良かったことも追い風となり、また、第1志望の業種、職種の新卒採用スケジュールが他業種や多職種よりも早めだったこともあり、まさかの面接通過率100%で、第一志望の内定もあっさり出てしまい、就職活動がすぐに終わってしまいました。
その後、入社してから、いろいろな大学から集まっている同期や先輩、あるいは後輩の話を聞ける機会を得ることができました。東大や京大を筆頭に、旧帝大や、私立なら慶応が多いかなというイメージです。中にはもちろん中学受験経験者もいます。
何度かブログでも取り上げていますが、そういう人たちと仕事をしていると、どうも学歴は必ずしも実務能力と相関しないような印象を持ちます。特に研究能力では、どれだけ苦労してあれこれ考えたかこそがその人の血肉となるという側面もあります。なんだか、中学受験の算数と似てますね。いわゆる高学歴な学校では准教授(当時は助教授)、助教(同じく助手)、ポスドク、ドクター、ついでにテクニシャンと精鋭(とも限らないのがアカデミックの怖いところ?)揃いですので、学部生・修士の学生は、比較的受け身でよい場合も少なくないようです。蛇足ですが、結果を出すことが強く求められ、教授によっては学生は兵隊のように扱われ、潰れてしまうケースも珍しくないという異常な話も当たり前のように存在し、良い環境を求めた結果がコレ?と思わざるを得ない、とても理不尽な世界です。
そう考えると、私の研究室時代は、なんとも非効率な研究ではありましたが、自由が与えられており、また、そのおかげで、「わからないことは何でも調べるし勉強する」というのが当たり前の習慣になりました。今では、一見無駄に見える苦労でしたが、研究者にとって、それどころか人生を送る上で最も大事なことの一つであり、今の自分を支えてくれているのだとつくづく思います。
英語力も学歴と相関がなさそうです。正確に言うと、初期値は学歴と相関があるのでしょうが、目的を持った大人が本気で英語を勉強すると、あっさり学歴以上の英語を身につけることができるということだと思っています。なので、私のような学生時代に英語が苦手だった人間でも英検1級程度なら取れましたが、東大生でも英語を勉強しなければ取れないでしょうし、逆に、勉強すれば誰でも取れるということでしょう。
佐藤ママの話によると、東大理3でも英検準1級レベルで良いとか。そして、中高一貫生は、大学受験に向けて中3から高1で英検2級取得が目安のようです。私は4級と1級しか受験したことがないので、その間の間隔がわかりませんが、英検準1級レベルなら大学受験でそれほど困ることはないのは間違いなさそうです。でも、英検準1級レベルだと、実務で英語を使うレベルにはちょっと足りないような気がします。
そうなると、学歴によらず、誰でも英語を使えるようになりたいのであれば、大学在学中か卒業後に英語を勉強するしかないのではないかということになります。そして、逆に、実務で英語を使わないし、プライベートでも英語の情報を取りに行くようなことがないのであれば、英語の勉強は一切不要ということにもなります。
中学受験で勉強する部分は、とても広く深く見えますが、大学受験のほうがもちろん深いのでしょう。さらに、大学に入学してみると高校までに学んだことは大部分を捨てて、一部の分野に特化してより深くすすんでいきます。そのように勉学に励んで学問としては高みに至ったとしても、社会人になってみると、実務で使えるのはそのごく一部で、プラス、コミュニケーション能力がないと話にならないという始末です。実務をある程度理解した社会人が大人パワーで必要なことにフォーカスして勉強するのが最も効果が高く、逆に、それをやらないとOn the jobだけでは得られることも限りがあり、その他大勢と同じになってしまうということだと思っています。
以上を考えると、始めの結論に至ります。
私は、まだ、中学受験で必要な努力の量を、完全には理解しきれていません。しかしながら、どれだけ努力をしたとしても、残念なことに、中学受験で必要となった努力以上の努力を、中学高校、大学、あるいは社会に出てからのどこかで確実に必要になってしまうし、すべきだと思います。そのため、中学受験がうまくいって、例えば、これから決めることになるだろう第一志望など志望校の高い中学校に合格したとしても「それを過信することなく、新しい目標をもって努力することを忘れないでほしい。」ことを伝える必要があると考えています。
一方で、第一志望を始めとして志望順位の高い中学校に全部不合格、あるいは極端な話、全滅という結果となった場合には、少なくとも日本は確かに学歴が重要な社会ではありますが、中学高校時代に頑張って逆転することも不可能ではないわけですし、また、一旦社会に出れば学歴の重要性は一気に薄れてしまうという事実があります。そのため「それで将来の夢が閉ざされたわけではなく、悲観して途方にくれる必要がなく、失敗と思う必要もない」こと、合わせて、「目標を修正して新しい努力の形を見つけて、行くことになった学校で努力することを続けてほしい」ことを伝えたいと思っています。ショックを受けているであろう子供に努力を語ることは、一見酷ではありますが、失敗と思う必要がないことを説明するために、どうしても必要になってしまうと考えています。
大学受験の結果が出た時、就職が決まったときにも、娘が意図を理解していなければ、私は全く同じことを言うことになると思います。結局の所、大事なことは人生ずっと何らかの努力をし続けることなのだと思っています。そして、親である私が、その姿を見せ続けておくことが大事なのだと思っています。
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