「公文」で英語の勉強~英語教育の考え
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今日は英語教育の考え方についてです。前回、算数に興味があったはずの公文に、英語で申し込むことになったことを紹介しました。
娘には今も公文を続けさせていますし、行ける所まで進んでしまえば良いと思っているので、今となっては説得力がまったくないですが、英語教育については、私は時代の流れとは反対に、早期教育に反対の立場でした。
私には中学受験の経験がないどころか受験の経験が無いわけですが、もちろん勉強はしていました。
あくまで公立中学校と公立高校のレベルでという前提ですが、全体としては成績も比較的良かったから推薦が取れたのだと思っています。でも、実は英語はずっと苦手で、特に高校生から無残な成績になっていきました。
大学生の時に多くの人がTOEICを受けると思いますが、私も受けました。本気で受けてTOEIC400点台でした。
大学4年生や大学院の理系の修士課程に進むと、普通は嫌でも英語の論文を読むことになります。実験手法を調べたり、関連研究を調べるためですね。
辞書があれば英語ができなくても論文を読み進めることは可能ですし、論文というのは、いくつも読んでいると同じような表現や単語が使われることが多いので、慣れが出てきて英語の能力が微妙でもそれなりに読めるようになってきます。
就職のことを考えるとTOEICの点も少しは必要なので英語も勉強するわけですが、危機感がなく、いまいち身が入りませんでしたね。
結局、企業の研究職につくことができましたが、気楽な学生と違って給料をもらう立場になり、また、長い期間働くと思うと、「先のことを考えて何か頑張らないと」と思えるものでした。私の場合、いくつかあるうちの1つが英語でした。
当時は英語の勉強方法も知りませんでしたので、決して最短距離を走ったわけではありませんでした。中途半端に手を出して投げ出した教材もたくさんあります。英会話にも通ったりしました。
勉強というものには、「無駄な勉強」というものは無いような気がしますが、私の英語学習については、今思えばどう考えても無駄だったものもありました。英語の正しい勉強方法を知らないというのは、今考えても致命的でした。
それでも継続はなんとか、とはよく言ったもので、英検1級にたどり着くことができましたので、今では、英語を得意と言っても違和感は持たれないだろうと思えるようになりました。
TOEICを本気で受けて400点台をだしたことがあり、英検1級持っている人はなかなかいないと思います。
そういうわけで、私の実際の体験から、英語は実際に必要になってしまってからか、そのちょっと前(周りの人が使いだしてから?)に「危機感をもって」勉強するのが一番身につくと思っています。
また、早くから英語を勉強するくらいなら、小学生くらいではそもそも不十分だろう「国語」を人一倍できるようにするとか、あるいは自分の興味のある分野を探すとか得意分野を磨くほうがよいのではと思っています。
英語は良くも悪くもただの言語であって、なにかをする上ではただのコミュニケーションのツールに過ぎないと思っているためです。例えば研究であれば、論文が読み書きできて学会で発表して質疑応答に対応できれば十分であり、英語よりも研究能力のほうが大事です。
今は研究を離れましたが、外国人とやりとりしたり英語で学問を学ぶ場合では、もちろん英語は必要ではありますが、英語だけでは不十分となってしまいます。マネジメント能力やプロジェクト管理能力の方が大切です。
と思いながら、娘に公文で英語を頑張ってもらいました。
その理由としては「娘が英語に興味を持って楽しんで勉強していること」、「まだ時間に余裕があること」、「公文の英語教材がとても優れていること」が挙げられます。
特に教材の質は大きいですね。私は英語が苦手だった時代が長かった分、英語がもともと得意だった人に比べて英語学習のポイントを掴むことができたと思っています(良い方法だけではなく、ダメな方法も知っている)。
公文教材も決して完璧というわけではないので娘の公文英語の勉強では少しサポートしていますが、公文の英語教材は、「なんとなく英語に触れています」とか、「なんとなく勉強しています」というありがちなものではなく、「しっかりと英語力が身につく」ように構成されていると思っています。
正直、英語の早期教育をお考えでしたら、公文をおすすめできます。
また長くなってしまいましたので、娘の状況についてはまた後日紹介いたします。
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